【レポート】シリア紛争における"認知戦“の経緯 1/8

情報を武器として扱い、人々の“認知”を操作する「認知戦」は現実の戦争でどのように行われるのか。本レポートでは、シリア紛争における認知戦の経緯、活動主体となったウェブサイトやメディア、インフルエンサーなどの動きとその影響を分析しています。本レポートは、新領域安全保障研究所の2025年度委託研究として軍事ジャーナリスト・黒井文太郎氏に依頼しました。
the Letter担当 2025.11.05
誰でも

レポート「シリア紛争における"認知戦“の経緯」を全8回にわたりお届けします。

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悪事をしている側が、より力を入れる認知線

国際紛争では対立する主体同士、すなわち各アクターは、必ずしも軍事力だけで戦うわけではない。軍事力以外の戦いの中には、自分たちが優位に立てるように意図的に、相手側の意識を誘導する工作手法もある。軍事の世界ではかねて「心理戦」と呼ばれていた戦いだが、近年は、その一種として「認知戦」という比較的に新しい用語が注目されている。

心理戦は、占領地での住民の支持取り付けを意図する宣撫工作、民生部門支援などで現地での自分たちの好感度を上げる工作なども含まれるが、認知戦は主に情報を武器として、自分たちに都合がいいように人々が思い込むように誘導することを指す。広義の「情報戦」の一部とも言えるが、人々の頭の中の“認知”を操作するということで認知戦と呼ばれる。

もっとも認知戦の手法そのものは以前からあり、戦争ではしばしば行なわれてきた。偽情報を使って相手を直接的に騙す「欺瞞工作」が代表例だが、現代では情報ツールの発達によって、相手方が受け取る情報を操作することで相手方の意思を誘導する工作の有効性がきわめて大きくなっている。英語圏ではInfluence Operationすなわち「影響工作」と呼ばれている。

影響工作の主戦場はいまやSNSを中心とするサイバー空間で、そこでの工作は特に「デジタル影響工作」と呼ばれているが、その工作の過程では、単にサイバー言論空間への工作だけでなく、従来のメディア産業、あるいは世論形成に影響力のある著名な研究者や言論人などへの誘導工作など、さまざまな手法を組み合わせるのが一般的だ。多層な工作を駆使することで、情報を武器に有利な環境に誘導しようということだが、必ずしも偽(フェイク)情報を使うとは限らない。小さな事実(ファクト)を誇張したり、故意に誘導する材料としてサイバー空間に潜ませたりすることなどで、人々の認知を誘導することも有効だ。宣伝、プロパガンダなどはすべて、影響工作の手法として認知戦で利用される。

こうした認知戦は対立する双方が行なうが、特にフェイク情報を使って誤認識を拡散させようという意図の工作は、より事実を隠したい側が、より大規模に行なう傾向がある。自分たちの悪事を隠したい動機が、より大きいからである。

その典型例が、2011年3月から2024年12月まで13年半も続いた中東・シリアでの紛争だ。アサド独裁政権側は民主化を求める国民を拷問・殺戮で弾圧しており、民主化勢力よりもフェイク情報を拡散する動機がある。民主化勢力側は、理不尽に弾圧されている実情を、そのままの事実として情報拡散することで国際社会に伝えたい。対してアサド政権側は、そうした事実を否定、あるいは相手側の小さな暴力を誇大に宣伝して印象付ける「どっちもどっち論」、あるいは別の話題に論点をすり替えるWhataboutismに持ち込むために、それこそフェイク情報を大量に駆使した影響工作による認知戦に力を入れてきた。

このシリア紛争の特徴として、アサド政権は単独で認知戦を行なったわけではないという点が重要だ。アサド政権を支援するイランとロシアの工作機関がその工作に参加したのだ。特に影響力が大きかったのが、ロシアである。ロシアは現代のサイバー空間で、いわゆる“陰謀論”の震源地として、国際的な多分野でフェイク情報を拡散している。

こうしたフェイク情報は、単にシリア紛争の関係者だけでなく、ロシアのデジタル工作の影響を受ける世界各地の広い層に誤った認知を広めることに成功した。ひとつはいわゆる左翼リベラル陣営の一部だ。こちらは冷戦時代から“反米”思想が根強く、“西側”を敵視し、反西側の情報源による言説にシンクロしやすいという特徴がある。それは中東問題の分野でも、パレスチナ支援側の陣営に以前から一部存在していた傾向だが、シリア紛争の場合も「背後には“米帝”の陰謀があり、米国と対立するアサド政権に正義がある」との考えになる。

この陣営では、西側のメディアの報道は偏向しており、事実は反米陣営メディアにこそ書かれていると受け取られる。つまり、アサド政権側メディアあるいはロシア政府系メディア、イラン政権系メディア、イラン工作機関の事実上の隷下集団であるレバノンの民兵組織「ヒズボラ」が運営するメディア、さらには西側の反米左翼系メディアの情報が優先されるのだ。

しかし、そうした報道の読み方は、著しく現実から乖離している。どのメディアでもバイアスが含まれる可能性があることは否定できないが、誤った報道をすれば直接的に批判される西側のメディアに比べて、政府の統制下にあって自国内で批判を受けない反民主主義陣営のメディアの情報の信頼度は著しく低い。もちろん西側メディアの報道内容も検証の必要はあることは事実だが、相対的評価として「西側メディアよりロシアなど統制国家のメディアのほうが信用できる」との考えは、情報取り扱いの現実性からはほぼ遠い。

こうした反米思想系に対して、アサド政権は自身が正面から発信するオーソドックスな宣伝工作を行なうと同時に、メディアを使ったプロパガンダ工作に力を入れた。そして、この後者のメディア工作には、事実上の後見人であるロシアが大規模に参加した。むしろロシアの工作のほうが、国際的なメディア工作では大きな影響力を持った。

さらにシリア紛争では、従来の反米陣営に留まらず、必ずしも左翼ではない西側世界のいわゆる“陰謀論”系言論界の一部に、強力な反・反体制派のフェイク情報を誘導する工作も実行された。陰謀論言論人にアサド擁護を広めたのだ。

この陰謀論系フェイク拡散のシステムは、左翼リベラル系よりも、欧米社会ではむしろ右翼系に浸透した。移民排斥をはじめとする反リベラルの論調を扇動することで西側社会を分断しようという工作は、プーチン政権が2000年代から欧州の極右政党を直接支援するなどで実行してきたが、2010年代に入り、SNSを主舞台とするデジタル影響工作をいっきに加速し、大きな成果を上げた。

こうした流れは、シリア紛争をめぐる認知戦とも連動している。もともと2011年の「アラブの春」でアサド政権が自国の民主化運動を銃弾で弾圧した当初、アサド側ナラティブの拡散マーケットは圧倒的に、従来の反米リベラル系だった。しかし、ロシア発のフェイク情報のエコーチェンバーが拡大していく中で、特に米国内では右派陰謀論系にも拡散していったという経緯になる。細かく振り返っていきたい。

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▼「シリア紛争における"認知戦“の経緯 2/8」へ続きます。

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